日本・アジア言語文化学

日本・アジア言語文化学プログラム

日本・アジア言語文化学とは

方法論によってまとまるほかの主専攻プログラムとちがい、 ここではアジア地域の言語文化を研究対象としており、方法 論を異にする分野が、空間の近接性によってまとまっていま す。したがって、かつて「国語学・国文学」といわれた日本語と日本言語文化を専攻するなら、高校までの勉強を踏み台にして、そのまま別の次元へと踏込んでいくことになりますし、中国・朝鮮の言語文化を専攻するなら、まずそれぞれの言語を習得しながら、興味を持った文学や思想について、さらに探究していくことになるでしょう。

また一方でアジアの歴史を振返れば、空間の近接性ゆえ に、日本・中国・朝鮮の文化が、相互に交流を重ね、影響しあい、時には反発しながら、それぞれの文化を築くに至ったことは疑えません。ですから、日本語・日本文学の本質を知るには、その基盤の一部をなしている中国・朝鮮の言語文化を学ばねばなりませんし、中国・朝鮮の言語文化の独自性を知るにつれ、日本文化の特質にあらためて興味がわくでしょう。「より深く知るためにより広く学びたい」という学生のために、この主専攻プログラムの地域的まとまりを活かしていこう、と私たち教員は考えています。

なお、このプログラムに学ぶことで、国語・中国語の教員の資格をとることもできます。

日本・アジア言語文化学で学べること

  • 古典日本語の文体と文章
  • 現代日本語における音声・語彙・文法の姿
  • 日本語研究に対しての批判的検討
  • 日本の古典を原典で昔の字体のまま読む
  • 『源氏物語』などの王朝物語の世界
  • 浮世草子や読本などの古典文芸について
  • 俳諧・戯作・浮世絵などの近世文化
  • 日本の近・現代の文学
  • 中国語のしくみ
  • 四書五経の世界
  • 中国現代の小説を読む
  • 漢文読解の秘訣
  • 諸子百家の思想
  • 白蛇伝の世界
  • 朝鮮語のしくみ
  • 朝鮮近代の詩・小説を読む
  • 在日朝鮮人文学について

教員紹介

磯貝淳一 ISOGAI Junichi(准教授, 古代日本語論)

何かを書こうとする時、私たちは自由なようでいて、実際には言葉を選び語り方を選び、ある種の「型」の中で文章を生み出しています。こう考えると少し窮屈に感じるかも知れません。しかし、その型は、それに乗ることで他者との繋がりを保証し、広げてくれもします。私たちを縛ると同時に自由にしてくれるものでもあるわけです。その型がいかに形作られてきたかを考えています。日本語の歴史、文章・文体の変遷が研究テーマです。

三ツ井正孝 MITSUI Masataka(准教授, 現代日本語論)

日本語(主に近現代語)を対象として、語彙や文法を中心に学んでいます。例えば、〈「壊す」には「壊れる」と、似た形の語があるのに、「食べる」にはない。これはなぜだろうか?〉〈「文法について勉強する」と「文法を勉強する」とは何か違いがあるのだろうか?〉〈明治や大正の文章には、私達の使わない言い方があらわれる。現代に至るまでにどんな変化をしたのだろうか?〉そんなことを、日々、学生達と考えています。

先田 進 SAKITA Susumu(教授, 日本近代文学)

日本の近代詩や近代小説は、明治になって流入してきた西洋文学や芸術思想の影響と日本の伝統文学の影響を受けて成立しました。授業では、こういう近代文学の成立事情に注目し、特に日本の古典及び西洋の近代詩や近代小説から受けた影響を解明することに主眼が置かれます。具体的には、19世紀末の西洋文学や芸術思想の影響を受けて展開した自然主義小説、耽美派、モダニズム文学、戦後文学などが多く取り上げられます。

高橋早苗 Takahashi Sanae(准教授, 日本中古文学)

平安時代に創り出された『源氏物語』や『夜の寝覚』などを中心に、王朝物語の世界について日々考えています。「豪華絢爛」といった言葉が付与されがちな王朝物語ですが、その華やかなイメージとは裏腹に、多くの作品に「憂愁の思い」が深く織り込まれているところに心惹かれます。授業では、上記以外の作品も取り扱います。テキストの表現一つ一つを吟味したうえで、各人それぞれの「読み」を提示してもらいたいと思っています。

広部俊也 HIROBE Shunya(准教授, 日本近世文学)

江戸時代は「文学」の意味がもっとも揺れた時代だったと言えます。本格的な古典文学は過去のものであり、西洋的な近代文学は到来していない時代。別の見方をすれば、堅苦しく考えず、資格も問われずに誰もが気楽に文芸に参加できた時代なのかもしれません。結果、現在の私たちが「日本的」だと感じるものの多くがこの時代に形作られました。そういう自由な空気が好きで、戯作・俳諧・歌舞伎・浮世絵などについて考えています。

藤石貴代 FUJIISHI Takayo(准教授、朝鮮文学・朝鮮文化)

日本では漢字が「真名」であり、漢字を書き崩して「仮名」ができましたが、ハングルは漢字や仮名とは制字原理を異にする表音文字です。朝鮮王朝4代目の国王、世宗の時代に、建国叙事詩「龍飛御天歌」を作るなど試行を経て公布されました。高麗時代から科挙が行われた朝鮮では漢文こそが文章語でしたが、ハングルで詩歌が記録されるように なり、17世紀頃からハングル小説も登場します。辞書をひきひき一緒に解読してみませんか。

干野真一 HOSHINO Shinishi(准教授 教育支援センター所属/中国語学)

中国語学の授業を担当しています。口語語彙の変遷、特に前置詞に関心があり、歴代の文学作品などに見られる用例をもとに考察しています。中国語を学び初めのころは、徹底して音声を体にしみ込ませ、音に対する反応を磨きましょう。文法を学ぶ際は、日本語や英語など、他の言語との違いにも目を向けてみましょう。言語表現には、その言語の世界の切り取り方が反映されていますから、中国語的なものの見方に迫ることが、学ぶ楽しさ、多様な価値観の修得につながります。

 

研究紹介

繋がり合う作品たち ―平安文学作品の魅力―

高橋 早苗(准教授)

『源氏物語』成立よりも後の時代、平安後期に書かれた『夜の寝覚』(よるのねざめ)という作品を知っていますか?主人公は〈苦悩の絶えない人生を送るだろう〉という悲しい予言をされた姫君「寝覚の上」です。ここで紹介するのは、その姫君をのちの恋人「男君」が初めて目にする垣間見(かいまみ)の場面です。ある月の明るい夜、男君は、訪問先の隣の邸から美しい楽の音が聞こえてくるのに気が付きます。幾重にも重なる竹林のなかをかき分けて邸の中をうかがったところ、そこには月の光のように美しい姫君がいました。あまりの美しさに「まるで〇〇〇のようだ」とつぶやいた男君は、普段は軽はずみな行動を決してしない人物であったのに、この夜ばかりは衝動的に邸に忍び込んでしまいます。

さて、男君が口にした「〇〇〇」ですが、ここにはある有名な古典文学作品の姫君の名前が入ります。「竹」「月の光」といった表現がヒントになりますが、気がついたでしょうか?そうです、『竹取物語』の「かぐや姫」が答えです。これは、物語の登場人物がまた別の物語の人物の名を口にする面白い場面です。それだけでなく、『竹取物語』を知っている読者であれば、かぐや姫と寝覚の上の〈重なり〉のみならず〈ズレ〉にも気がつくことのできる場面です。というのも皮肉なことに、かぐや姫が男性たちの求婚を拒み通すことができたのに対し、寝覚の上は突然の男君の侵入になすすべもなく、その後苦悩を重ねることになるからです。この作品は寝覚の上の人生を丁寧にたどっていきますが、その際『竹取物語』を意識して読むことでこの物語の面白さは倍増します。このように、平安時代の文学作品はそれぞれが個別に存在しているのではありません。様々な形で作品同士が繋がり合っているのであり、それを念頭におき、また時にその結びつきを探りながら読むことで、古典文学のいっそうの魅力を発見できるのではないかと思っています。

「近くて遠い国」から「近くて近い国」へ

藤石貴代 (准教授)

筑摩書房の国語の教科書で、詩人の茨木のり子さんが紹介した(『ハングルへの旅』1986)この詩と詩人について習った人、いますか。

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥なきことを、
葉に立つ風にも
僕は心痛んだ。
星をうたう心で
すべての死にゆくものを愛さなければ
そして僕に与えられた道を
歩いてゆかなければ。
今夜も星が風に吹かれる。 1941.11.20

伝えられる人柄のとおりに、繊細で純潔な詩を遺した尹東柱(ユン・ドンジュ1917-45)の『空と風と星と詩』(1948)冒頭に置かれた 詩(「序詩」)を訳してみました。渡日して立教大学と同志社大学に学んだ尹東柱は、1945年2月16日に福岡刑務所で獄死します。「朝鮮固有の文化を研究」することが「独立運動」とみなされ、「治安維持法」違反で逮捕されたのです。

あかい額に冴えた月が射して
弟の顔は悲しい絵だ。
歩みをとめて
そっとちいさな手を握り
「おまえは大きくなったらなんになる」
「人になるの」
弟の哀しい、実に哀しい答だ。 (「弟の印象画」4聯のうち第1、2聯)

十歳下の「弟」、尹一柱さんは、優しかった兄の思い出として、突然の死亡通知を受けてはるばる九州帝国大学に遺体を引き取りに行った父の嘆きと、「東柱さんは、何の意味かわからぬが、大声で叫び絶命しました」という日本人看守の証言を記しています。尹東柱の最期の言葉は、朝鮮語を知らない日本人に、誰にも聞き取られることなく、永遠に消え去りました。 日本が朝鮮を植民地支配しなければ、尹東柱が27歳で死ぬことも、押収された彼の詩が失われることもなかった。茨木のり子さんのように、すべての日本人が尹東柱の「かなしみ」を学べていたら。彼の死後70年、日韓国交正常化から50年の今年、ふと思います。

 

Student Voice

日常で使う日本語を研究する

日本語学 石﨑 雅人

皆さんは百円玉を知っていますか?知らない人はいないと思います。しかし、 皆さんがよく知っているものであるはずの百円玉の原材料や絵柄の変遷を正確に説明して欲しいと言われたらどうですか?自分が当たり前に知っていると思っているものでも改めて詳細を尋ねられると答えにくいものです。これと同じことが日本語研究にも言えます。皆さんが普段使っていて、よく知る日本語の語や文法ひとつひとつにも成り立ちや変遷があり、古文から長い期間を経て現在使われている現代文になったのです。逆に言えば、普段何気なく話し、書いている言葉からでも用例を集め分析していくことで1000年以上続く日本語の言語活動の一端に触れることができるのです。例えば「否」と「非」は同じ否定の意味でよく使われる同音漢字なのに使い分けがあります。これを気にしたことはありますか? 常に身の回りにあり、身近すぎて見逃しがちな「当たり前のもの」を改めて考えてみませんか?

文学を考えるということ

日本文学 白田 愛

近代日本文学を専攻しています。読み、考え、議論し、自分に無いものを取り込んでは読み、考えるの繰り返し。地味で果てのない行為ですが、面白くてたまりません。けれど中には、それが何の役に立つのかと思う方もあるかもしれません。でも、考えたことがあるでしょうか。文学とは何か。数々の物語が、なぜこんなにも心を揺さぶるのか。言葉がどうしてそんなにも心を惹きつけるのか。そしてそれは本当に役に立たないことなのか。私や、あなたにとって。勿論、答えがすぐに見つかるわけもなく、それが一つであるわけもありません。ただこの主専攻では、そんな風にすぐに答えの出ない問いを真剣に考えることができます。悩み、議論し、時には遊んで、とことん文学をまなぶことができます。素敵な先生方や、苦楽を共にする学友たちとも出会えるはず。誰かが決めてくれた「役に立つ」ではない、あなたの血肉としての言葉を、文学を、ここで一緒に考えてみませんか。

漢文を原文で読む

中国古典学 森谷 翔

「中国古典学」とは、すごく簡単に言うと「漢文」です。漢文は皆さん馴染みがありますよね。ですが、皆さんがこれまで読んできた漢文とは違って、私たちが読む漢文は、訓点が付いていない漢字だけの原文です。訓点の付いた漢文は読みやすいですが、訓点を付けることで、その文の意味が一つに限定されることにな ります。一方、漢字だけのものは、人によって読み方が違ったり、それに伴って意味も複数考えられる場合が出てきます。たった一文字違うだけで文章全体の解釈も全く異なってくることもあります。ここに漢文を読む面白さがあると私は思います。ゼミでは各個人が持ち寄った解釈の比較検討を行い、何が一番適切な解釈か考えます。勉強というより謎解き感覚で研究しています。知識ゼロでも大丈夫。先生も面白い。読めば読むだけ漢文の魅力にはまること間違いありません!ぜひ私たちと一緒に中国古典学を学びましょう!

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