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内なるものと鏡の向こうーーロシア詩の/への翻訳 |
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ロシア文学の名訳者と言えば米川正夫、中村白葉、原久一郎、神西清といった先達たちの名がすぐに思い浮かぶが、やはり天才的名訳者として知られる中山省三郎の翻訳を最近あまり目にしなくなったことは淋しい限りだ。彼はプーシキンの『オネーギン』をはじめ、ブロークやアフマートワなどのロシア詩の名訳を残している。私の手元にある訳本の中でもとりわけ愛着深いのがアフマートワの『念珠抄』である。中山省三郎の三〇周忌(昭和五二年)を記念して私家版として発行されたこの詩集は、彼が昭和二年に翻訳したものの生前出版されることはなかった。
アフマートワの翻訳は中山省三郎以降も多くのロシア文学者によってなされてきたし、最近も木下晴世訳による『アフマートヴァ詩集』(群像社)があるが、中山省三郎の翻訳は今もその香気を失っていない。 黒インクで神楽坂山田商会の原稿用紙にしたためた訳稿を自ら綴じ、和紙で表紙をつけた上に、扉には可憐な花の絵まで描いたというから、彼がこの詩集をいかに愛したか想像できるだろう。アフマートワについて彼はこう解説している。「彼女の詩は、何等かの外界の対象、具体的な外廓を要求する。形あるものと、なきものとを結ぶ契機をなすのである。しかも、これらの現象と結ばれる関係は偶発的なものとなり終るものではない。外なるものは、一廻転のうち、内なるものとなってしまう。かくて彼女には内なるものはなくなってしまうのである。」 「内なるものと外なるもの」は、おそらくロシア詩におけるもっとも重要なテーマで、それはまた「私とあなた」「私と私の内なるあなた」「私の中のもう一人の私」のテーマであり、詩的言語と他者をめぐる言説を多数生み出す結果となった。その言説をめぐる物語だけで一冊の書物となってしまうのだが、ここでは私と他者を互いに「翻訳」する詩的言語について若干考えてみたい。 全三五巻の『ロシア・ソビエト文学全集』(平凡社)の最終巻を飾る「ロシア詩集」(一九六六)は、ルイレーエフ、プーシキンから始まり、パステルナーク、マヤコフスキーまで、四六人の詩人の作品を収録しており、これだけの数を集めた邦訳アンソロジーがいまだにないことから見ても、日本の翻訳史の中でも高く評価されるべきだろう。この中で中山省三郎はチュッチェフの詩もいくつか訳している。
この「夜風よ」(一八三六)はチュッチェフについて語る場合、必ずと言っていいほど引用される。中山省三郎がアフマートワにおける「内なるものと外なるもの」に注目したのと同じ文脈で見るならば、この詩に向けた関心も推測されよう。チュッチェフはロマン主義を代表する詩人で、宇宙的な夢想に満ちた詩を書いた。昼と夜、コスモスとカオスの対立、天上への憧れと深淵への恐怖などが主なテーマだが、主要な動機となるのは私と私の認識を越えた自然との関係を自らに問いかける内省的な「言葉たち」の所在である。シェリング哲学の影響を受けたこの詩人は、自然におけるカオスからさらに私の中の自然=カオスへと思索を広げる。私のなかの内なるものと外なるもの、私という自己と私の中の得体の知れない何か。それは言葉であると同時に言葉ならざるものとのせめぎあいとして描かれる。「どうしたら心はおのれを語れるのか。」魂はカオスそのもので、言葉は何も語れない。「言葉にあらわされた思いは嘘なのだ/泉をかきおこせば 泡だたせる/それを糧とするのだ そして沈黙せよ」 詩作は翻訳とも言える。それは私の内なる言葉を外なる言葉にしようとする試みだが、チュッチェフはこの翻訳を絶望的な試みの連続として捉えていたのかもしれない。彼は、外交官として長く国外で暮らし、日常的にフランス語を使用した。会話も書簡もすべてフランス語で、死の直前までその能力は衰えることはなかったというが、詩を書くときの言語はロシア語であった。彼の中のロシア語とは何だったのだろう。
川端香男里は『ロシア』(講談社学術文庫)の冒頭でチュッチェフのこの四行詩を取り上げ、「ロシアほど謎めいた国として数多くの幻影(ミラージュ)をもたれた国はないであろう。ロシア人自身はこれらの外国からの眼差しに対しては批判的に対応するのがつねで、ロシアの独自性は決して外国人に理解されないという確信に似た考え方をするロシア人の例はきわめて多い」として、これはチュッチェフにおけるスラブ派的思想だと指摘している。しかし、フランス語をあやつりながら、ロシア語でなければ思うように詩作できなかったチュッチェフという視点から見れば、チュッチェフ自身が自分の「内なるロシア」を頭では理解できず、身体的に感じるしかない、そしてそれをただひたすら信じるしかない、とうたっているとも考えられる。では、私の内なるロシアとは私のロシアなのだろうか、それとも他者としての「ロシア」なのだろうか。そして、母語を他者としてとらえ、それを自己のうちに翻訳することが詩作なのだろうか。 私のうちなる言葉について、マンデリシュタームはチュッチェフの詩に答えるように「沈黙」(一九一〇)でうたっている。
マンデリシュタームの頭の中にはいつも音楽のような響きがあり、詩作にあたっては全身全霊でその響きに耳を傾けたという。しかし、この詩では内なる音楽が外なる言葉になろうとする状態に対して「泡のままでいるのだ アフロディテよ/言葉よ音楽にかえるのだ」と呼びかけ、音楽としかいいようのない詩的言語を分節化される言語になる前でとどめておこうとしているのだ。 チュッチェフの問いかけは、その後の現代詩人たちにも内なる母語と他者としての母語というテーマを与え続けた。文献学者のベズロドヌィ『引用の終わり』(一九九六)では、チュッチェフの「言葉にあらわされた思いは嘘なのだ」に対してこう答えている。「述べられた思いは言葉なのだ」。さまざまな先行テクストからの縦横無尽の引用によって構成されたこの本からは、私たちの言葉が自文化・他文化を問わず、それらすべての文化が生み出した先行テクストから翻訳された、私のうちなる言葉たちの集積でしかないことを示唆しているようだ。こうして母語とそれが生み出した文化は対象化され、自立したテクストだけが私の身体を次々に通り過ぎていく。
コンセプチュアリズムの詩人プリゴフは母語であるロシア語をあやつりながら、その主体である自己をテクストの中で解体し、テクストの外へ言葉をはじきとばすように、饒舌にうたい続ける。テクストに意味はない、私というアイデンティティもない、あるのは言葉である、という潔癖なまでの態度をプリゴフは貫いている。実は文化というのもアイデンティティのあやしいもので、世界中のすべての文化も相対的に見ると何らかのオリエンタリズムになってしまう。二〇〇〇年に日本に三ヶ月滞在したプリゴフはその経験をもとに『ぼくだけの日本』(二〇〇一)を書いた。日本を徹底的にエキゾチックに描くことで、異文化の視線を逆手に取り、あたかも日本というイメージがこの世のはじまりからただの作りものにしかすぎなかったように読者に信じ込ませてしまう。実はこの小説の前作『モスクワに住んでごらん』(二〇〇〇)では、同じようにモスクワを他者の文化として描いているところなど、先の詩的世界と共通しているところだ。 やはりすべての詩はすでに書かれており、新たなテクストは先行テクストの余白への書き込みのようなものだとスホーチンは言う。彼もまたマンデリシュタームについて度々言及し、「トリスチア」という詩さえかいているほどだ。また、詩「いまだ誰もかく語らず」ではマンデリシュターム、ヴヴェジェンスキイ、ハルムス、サトゥノフスキイが登場し、彼らの言葉とスホーチンの記憶が融合し、あいまいになっていく。マンデリシュターム同様に詩は「つくられる以前に」すでに響いているのだという感覚は次の詩にも明らかである。
彼の詩集『『寄せ集めおよび本の余白への書き込み』(二〇〇〇)では、タルムードや『西遊記』の原文を中心にレイアウトし、その余白に書き込まれた詩が秀逸である。すでに書かれてしまったテクスト、読者としてそれを読むという行為、その痕跡としての書き込み…。こうして、詩人自身が書くテクストも相対化され、内なる言葉はそのまま他者の言葉と化していく。
こうした手法についてスホーチン自身は詩集の巻頭論文で次のように述べている。
何もかも昔にあったこと すべてはまた繰り返される
外なるものが詩人の意識の中で内なるものへと融合していくアフマートワの詩的言語からはじまり、現在の詩的言語は内なるものを対象化し、相対化し、さらに外へ向かおうとする。そうした試みのひとつが、外国語からロシア語に詩の翻訳をすることで、現代ロシア詩人の実に多くが翻訳詩をものしている。最近のもので特に注目されるのがエヴゲーニイ・ヴィトゥコフスキー編『世紀の詩2――ロシア語訳・二十世紀の世界の詩アンソロジー』(一九九八)だ。一一九二ページもの大冊であり、実に千人を越える詩人たちの翻訳詩を収録しており、詩に関してもロシアは翻訳大国であることが分かる。 翻訳者にとって「鏡の向こうのものたち」である外国の詩人は、自分たちと同じ内なるものを持ちながら、母語を同じくしない。母語を外から見るために自分の母語を鏡に映してみるのが翻訳という行為なのかもしれない。あるいは、母語を自分の眼差しと考えてみよう。目は目を見ることはできない。目は自分の眼差しを見ることはできない。それは鏡に映して見るしかないのだが、鏡は私の内なるものではない。では、母語は母語を見ることができるだろうか。それはただ語るだけである。母語を映して見る鏡が母語以外の詩なのだろう。 アフマートワ、マンデリシュターム、パステルナーク、ツヴェターエワ等、二〇世紀を代表する詩人たちはみな訳詩でもすぐれた作品を残した。『世紀の詩2』における母語を相対化する試みの数々は、内なるロシアが視点の差異だけで複数の可能性としての非ロシアとなりえることを示している。世界は言葉の数だけ、いや詩の数だけあるのだろう。さらに母語の外へ出て、詩的営為を続けた詩人たちにブロツキーやナボコフはじめたくさんのロシア詩人がいる。『世紀の詩2』にはそうした詩人たちの詩も収められていて、興味は尽きない。 ここで明記しておきたいのが、ソ連時代の帝国主義的政策によって生まれた文化的な落とし子が各共和国の言語からロシア語に翻訳された詩の数々であろう。オマル・ハイヤームやサヤト・ノヴァなど、すぐれた翻訳がたくさんある。リトアニア語から翻訳されたバルトルシャイティス、チュヴァシ語から訳されたアイギが光彩を放っている。翻訳によってロシア詩人たちの内なる言葉(文化)はゆらぎ、異質なものとなる。支配者(とロシアが思っている)共通言語が実はきわめてマイナーなものであるということを気づかせる。文化の差異を言葉の差異としてあらためて認識し、原テクストを異化することで、翻訳(書き直されたテクスト)は内なるものを再び外なるものへと投げ返しつつ、さらにまた内なるものへと向かう運動を読者にうながす。 エスペラントが言葉の差異を再組織化しようとするがゆえに「危険な言語」とみなされたように、実は詩の翻訳も詩作そのものも、支配者にとってはきわめて危険な行為となるのかもしれない。すると、マンデリシュタームやブロツキーはじめ、多くの現代ロシア詩人たちが権力者から疎まれたのも当然のことだったのだと考えられるだろう。 ともあれ、詩は翻訳され続けるだろう。「鏡の向こうのものたち」と眼差しを交わしあうために。
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