ロールシャッハテストをめぐる真実と疑惑(概要)

宮崎謙一

[全文は,現代のエスプリ No.481「嘘の臨床・嘘の現場」(pp.66-79), 至文堂 (2007.8)に掲載
詳しく知りたい方は,J.M Wood, M.T. Nezworski, S.O. Lilienfeld, H.N. Garb (著) What's Wrong with the Rorschach? (2003) ロールシャッハテストはまちがっている--科学からの異議 宮崎謙一(訳) 北大路書房 ; ISBN: 4762824836 (2006), 353 p をお読みください]

ロールシャッハテストは,人の心の内面を明らかにするとされる心理テストの中で最も広く用いられているものである.このテストは,偶然にできたインクの染み模様のような 10枚の図版を用いて,そこに何を見るか,図版のどのような特徴に着目するかなどから,表には現れない個人に特有のパーソナリティ傾向や,隠された心の奥にあるもの(無意識的な葛藤や動機,欲求など)をも知ることができると言われている。

このテストは熱心な推進者たちの力によって非常に広く用いられる心理検査ツールへと発展し,1940年代から50年代にかけて全盛期を迎えた.ところがその妥当性が科学的に支持されないことが明らかになり.50年代後半から60年代には,これはほとんど役に立たないテストと見なされた。しかし70年代半ばに,ジョン・エクスナーの「ロールシャッハ包括システム」によって,ロールシャッハテストは奇跡的な復活をとげた.包括システムは厳格な心理測定の基準を満たし,確かな信頼性と妥当性を持つものとして広まり,クロプファーの時代遅れの方式に取って代わった.現在ではロールシャッハ包括システムは,臨床や司法の現場で重要な決定を行う際に広く用いられ,心理検査を代表するもののひとつになっている.

ところが1995年あたりから,包括システムについても,その信頼性と妥当性,それを支える科学的証拠の質が問題として指摘されるようになり,科学的立場を重視する心理学者とロールシャッハテスト推進派の間で再び活発な議論が巻き起こっている.

ロールシャッハ包括システムの問題点として次の点が指摘される。

誇大な妥当性の主張と臨床的妥当化: ロールシャッハテスト推進派はロールシャッハテストの有効性を誇大に宣伝してきた。その主張の根拠とされる臨床的妥当化は,科学的な立場からは受け入れることができないものである。その背景にあるのは確証バイアスと呼ばれる認知的錯覚である。

過剰病理化と包括システム基準への疑惑: ロールシャッハテストの大きな問題として,正常な人を異常のように見てしまう過剰病理化の傾向が指摘される。新しい包括システムでもこの問題が解決されていない。さらに包括システムは,その基準が不適切であることが明らかになり,信頼性に疑問が向けられてる。

データの公共性: エクスナーの「ロールシャッハテスト:包括システム」は,膨大な学術的引用で埋められているが,それらの多くはエクスナー自身が設立した「ロールシャッハ・ワークショップ」で行われた未公刊の研究であり,通常の意味での学術報告ではない.ジェームズ・ウッドらはエクスナーの中に引用されている研究のいくつかのコピーを請求したが,「ワークショップ」から拒否された。主張を支える科学的証拠が公共性を欠いたものであるとすると,その主張はもはや科学的主張とは言えない.

ジェームズ・ウッドらによるローシャッハ包括システムに対する批判を集約した本が2003年に出版されると,それまで臨床とアカデミックな心理学の世界の中で主として繰り広げられてきた論争の詳細が,一般の読者にも知られるようになった.それまで信頼できる検査と思われていたロールシャッハテストがあてにならないものであること,特にロールシャッハテストを使うと,正常な人が異常と判定されてしまう可能性があることに人々はショックを受けた.ところがロールシャッハテスト推進派は,このような批判に対して,ロールシャッハテストの妥当性を信じて疑わず,正当な科学的批判を無視してその正当性を主張するというかたくなな姿勢をいまだにとり続けている。

新しいロールシャッハ包括システムも,クロプファーらの古い方式と同様に,信頼性と妥当性に関して疑問があり,正常な人を異常と判定してしまう過剰病理化の傾向があるという疑いもある以上,個人の生活を大きく左右する重大な決定に,このような検査を用いることは倫理的に問題があると言えるだろう.