新潟大学人文学部

学部長あいさつ

人文学部長 松井克浩

2022年の4月から、人文学部長を務めることになりました松井です。どうぞよろしくお願いいたします。

 私は1991年に新潟大学に赴任したので、かれこれ30年ほど、ここで大学教員をしていることになります。毎年この季節は(今これを書いているのは2月半ばです)、4年生の卒業論文を読み終え、授業科目ごとに成績を付けて、3月の卒業式を待つというタイミングです。実際には、このあと入試や会議もたくさんあって、とくにのんびりできるわけではないのですが。

 大学は学生にどのような力を付けて、社会に送り出すのか。近年とりわけ、こうした「成果」を示すようにという要求が高まっているようです。ただ、よく考えれば分かるように、学修成果を目に見える形で示すのはとても難しい。資格試験や採用試験などの結果によって測る場合もあるでしょうが、それとて教育の結果身につける力のすべてではないでしょう。教育の効果は、長い時間を経たのちに、思いがけないところで現れてくることも多いからです。

 とはいえ、「4年間の学びにどんな意味があるのか、さしあたりよく分かりません」と言い切ってしまうのも、(ある意味正直かもしれませんが)無責任でしょう。人文学部は、広く言えば「人間の存在と人間が創り出した文化に関する専門的な知識と全体的な視野を備えた人材の育成」を目的としてきました。本学部には、「心理・人間学」「社会文化学」「言語文化学」という3つの主専攻プログラムがあり、それぞれが分野に即した「人材育成目標(卒業生が身に付けるべき資質・能力)」を掲げています(詳しくは大学HPをご参照下さい)。

 こうした力は、4年間をかけてさまざまな授業を通して養われていくのですが、大学における学びの「集大成」という位置づけにあるのが卒業論文です。しっかりした卒業論文を書くためには、専門分野の深い学識とその背景をなす広い教養を身につける必要があります。その上で、企画力や情報収集能力、資料・文献を読む力、粘り強い探求心、論理的な文章を書く力などが要求されます。こうした力は、社会がどれだけ大きく変化しても、この先ずっとさまざまな分野で必要とされる能力だと思います。

 長い間教師をしていると、プロの研究者には(少なくとも私には)書けないような、すごい卒論に出会うことがあります。荒削りだけどまっすぐで、困難な対象と時間をかけて格闘し、もがきながら問いを深め、新鮮な発見につながるような論文です。

 私がかかわってきた社会学の例をあげると、災害時に地域の一般の人びとが精神障害者を守り、支えた事例を、多様な関係者へのインタビューにより描き出したものがありました。また、ALSという難病患者の家族や知的障害者の家族、犯罪の被害者など困難を抱えた人びとの自助グループに長期間参加し、その不安や苦悩に寄り添って書かれたものなども印象に残っています。

 教師は学生の傍らに立って、時々相談に乗り、ハラハラしながら見守ります。その過程で、音を立てるようにして学生が成長する瞬間があります。狭く固定的な自分の枠を越えていく場面に立ち会うことは、教師にとって大きな喜びです。

 もちろん結果に結びつくかどうか、やってみなければ分からない部分もあります。しかし、思い通りに行かないこと、うまくいかないことから学べることも多いのです。安全に失敗できる場所や機会も、大学が提供できることであり、それもまた学生の成長につながる重要な道筋でしょう。

 短期的で目に見えやすい成果や評価への要求にはそれなりに付き合いながら、やはり人文学部らしい、懐の深さをもった学生、長い人生のなかで伸びやかに力を発揮していける学生を育てて行けたらと思います。私たちの伝統的な少人数教育は、とりわけそれぞれの学生の個性に合った指導に活かせるでしょうし、何よりも教育熱心な先生方がそろっていることは最大の強みだと思います。勝手で無責任な外野の意見に右往左往するのではなく、しっかり学生を育てるという本来の使命に忠実であることを、引き続き目指してゆきたいと思います。

 最初の学部長ご挨拶を卒業論文の話から始めたのは、おそらく直接には、卒論を読んだ直後に書いたからです。コロナ禍で制約の多いなか、学生たちが苦労して取り組んだ卒論には結構心を揺さぶられました。でも深層心理的には、就任前からすでに、このページを早く卒業したいという気持ちが現れているのかもしれません。