新潟大学は海外の多くの大学と積極的に交流協定を結んでいます。
さらに人文学部は国内はもとより中国や韓国など環日本海地域の大学をはじめ世界各地の大学と交流協定を結び、学生の交換、教員の研究交流など国際交流を進めています。
2012年4月27日午後4時より人文学部長室において、岩手大学人文社会学部と新潟大学人文学部との研究交流協定の調印式が行われました。
岩手大学人文社会学部からは井上博夫学部長、中里まき子准教授、及川豊史人文社会科学部副事務長がお出でになりました。新潟大学側からは、高木裕人文学部長、松井克浩副学部長、原直史副学部長、桑原聡副学部長、また前学部長としてこの交流協定を進めてこられた關尾史朗教授、人文学部研究推進委員会メンバーである中村潔教授、堀建彦准教授、駒形千夏助教、事務からは神田賢治人文社会・教育科学系事務部長、青木聡総務課長、並木みのり学務課長の皆さんが出席され、和気藹々とした雰囲気の中で無事調印式を終えました。
左:本学部の高木裕学部長 右:岩手大学人文社会学部の井上博夫学部長
その後、学際交流室に移動し、人文学部も交流協定を結んでいますボルドー第3大学のブノワ教授E. Benoitのグループと岩手大学人文社会学部および新潟大学人文学部が連携して採択された「SAKURAプログラム」(日本学武術振興会:日仏交流促進事業)に至る研究交流について、中里先生に報告していただきました。今後二年間のうちに国際シンポジウムを二回開催する予定とのことでした。ご報告の後、質疑応答の時間を設けましたが、活発な意見交換がなされました。今後の展開が楽しみなプロジェクトです。(文責:S.K.)
2010年4月27日(火)に、本学人文学部の橋谷教授が中華人民共和国教育部に直属する国立大学(国家重点大学)で上海市にある復旦大学を訪問し、同大中国語言文学系との学部間交流協定を、下記の通り調印致しました。
万博開催準備で街中、警官があふれかえる上海を訪問し、4月27日午前11時から、復旦大学光華楼西主楼1001室で、中国語文系系主任の陳思和先生に学部間交流協定書に署名してもらいました。副主任で対外関係担当の祝克懿教授、今回連絡役を務めてくださった鄭土有教授らが列席されました。
中文系は、約80名の教員を擁する復旦大学の中でも最も歴史のある系(学部)ですが、今、「学院」に組織変更を申請中とのことでした。外国人に中国語教育を行う対外漢語部門も含まれ、留学生には、すべて英語で授業するプログラムも開設しています。(橋谷英子)
復旦大学の陳思和 中国語言文学系主任、祝克懿 学系副主任(対外関係担当)、
今回連絡役を務めてくださった鄭土有 教授らと
新潟大学人文学部は、今まで国際交流に主に力を入れてきましたが、知のネットワークを広げるためには国内の大学との交流協定も必要と考えております。お互いのリソース及びネットワークを利用できれば、引いては国際交流の拡充にもつながると確信しております。
今回、新潟大学人文学部のさまざまな先生方の地道な交流が実り、愛媛大学法文学部の交流協協定締結にこぎつけることができました。
2008年11月7日に正式に愛媛大学法文学部と教育研究交流協定を結ぶことができました。
愛媛大学法文学部から森孝明法文学部長、黒木幹夫副学部長をお招きし、11月7日午後4時より、新潟大学人文学部長室で、森孝明法文学部長と關尾史郎人文学部長が交流協定書に署名を交わし、無事調印式を終えることができました。
左から、本学部の高木裕副学部長、關尾史郎学部長、
続いて愛媛大学法文学部の森孝明学部長、黒木幹夫副学部長。
その後、午後5時より、森孝明先生より、「青島から来た寄贈ドイツ図書」という演題で記念講演を行っていただきました。
第一次世界大戦まで青島を租借していたドイツが、大戦終了直前日本軍と交戦し、破れ、ドイツ人俘虜が日本(数カ所、後に徳島県板東)に抑留され、彼らによってベートーベンの第9交響曲「歓喜の歌」が日本で初めて演奏されたという事実は、2006年に封切られた、松平健主演の「バルトの楽園」以来、知られてきております。ところが、青島の膠州図書館から2万数千冊の、主にドイツ語で書かれた図書が日本軍に接収され、日本の大学及び高等学校に寄贈されたという事実は、ほとんど知られておりません。
森先生は、「青島・膠州図書館」とドイツ語で記されたスタンプが押してある本をご自分の研究室で発見されたことを機に、この問題の解明に取り組んでこられました。ご講演では、これらの書籍がどういう経緯で日本に送られ、また、愛媛大学の前身である旧制松山高等学校に収められるに至ったかをお話しくださいました。また、松山高等学校と同時期に設立されました旧制新潟高等学校(新潟大学の前身)にも同じように青島からの寄贈図書があることをご教示くださいました。
森先生は、愛媛大学と新潟大学は、前身の高等学校の設立年(大正8年)が同じであり、また新制大学として生まれ変わったのも同じ年であること、そして86年前(大正11年)に青島からの寄贈図書をともに受け取るという奇しき巡り合わせによって結ばれており、この縁を奇貨として両学部の交流のさらなる発展を進めたい、と話を締めくくられました。
大変興味深いご講演の後、質疑応答が活発に行われ、交流協定締結後、最初の実が得られました。
その後、懇親会が和やかな雰囲気の中で行われました。森先生のご講演の後ということもあり、参加者はほろ酔いのうちにも知的な興奮の余韻を楽しんだものでした。
ナント大学のイヴ・ルコワント学長と本学部の高木裕副学部長
2008年10月29日(水)に、フランスのナント市の中心にあるナント大学の学長室において、新潟大学人文学部とナント大学との交流協定の調印式が執り行われました。当日は、学部長代理として、人文学部から高木副学部長がナント大学を訪問し、ナント大学長イヴ・ルコワント教授と会談した後、ル・ジュヌ副学長、ナント市助役カリーヌ・ダニエル氏、田中丈史ナント大学言語学部日本語科主任らの立ち会いの下、両大学の交流協定の調印が行われました。この協定により、研究と教育に関して、両大学の学生、研究者の活発な交流、共同研究、講演会・研究会の開催などが可能になります。新潟市とナント市の姉妹都市協定の締結を目前にしてのこの協定は、両市の教育・研究面での国際交流も大きく前進させることになるでしょう。